普通の人間がただ生きていても、責められない社会であってほしい
「髭男爵」山田ルイ53世さん
タイトルは私の大好きな言葉で、お笑いコンビ「髭男爵」の山田ルイ53世さんの言葉です。
山田ルイ53世さんは、「ルネッサンス」の印象が強く底なしに陽気なイメージですが、過去に6年間家に引きこもっていた経験があるそうです。
詳しく説明を致しますと、53世は中学生時代有名な進学校に通われており、周囲の期待に応えるために「優等生でいなければならない」という思いこみがあまりに強くなってしまった結果、夏休み明けのある日突然学校に行けなくなったそうです。
先述のようにそれから6年間、引きこもり生活を送られた経験をお持ちで、この経験から、
「普通の人間がただ生きていても、責められない社会であってほしいと思います。我々にはキラキラして生きる義務などないと思うのです」
という印象深いお言葉を残されています。
私は精神保健福祉士として精神障害者の支援を生業としておりますが、日々業務に難しさを感じております。
それもそのはず。
今は「普通の人間がただ生きること」でさえ難しい、そんな時代になってきているからです。
普通の人間でもただ生きることが難しい社会
皆様この言葉を聞いて、どう感じるでしょうか?
私は前職の大企業での営業マン時代を思い出します。
当時、私は日々結果を出すために朝は6時半~深夜の1時まで、ろくな休みもなく働いていました。
そのぐらい働くのが普通であると考え、ずっと張り詰めた状態で、今となっては色々な意味でぎりぎりな生活を送っていたなと感じます。
なぜこのような日々を送っていたかというと、
競争の激しい世界では、『出来る/出来ないの二元論』だけで人の価値が語られるからです。
つまり、一度「出来ない人間」のレッテルを貼られてしまうと、出来ない人間でしかなくなり、例えその他にいいところがあってもそれは全く評価の対象になりません。
極端ですが、本当にこんな環境なのです。
普通では許されないのです。
「出来る人間」でなければ許されないのです。
周囲でこれにより潰れていった人間をたくさん見てきました。
が、自身もぎりぎりの状況で、それを助けられるような力はありませんでした。
そして、こんな馬鹿げた環境が、あらゆる業界で過剰な競争が繰り広げられる現在は、より広がってきているように感じます。
普通の人間でもただ生きていくことが難しい社会になってきているのです。
仕事を出来るか出来ないかの二元だけで人間の価値が語られる。
もちろん仕事が出来るに越したことはないのですが、これだけで人の価値が量られるのならば異常としか言いようがありません。
繰り返しとなりますが、競争の激しい業界では事実、これだけで人の価値が決まることが珍しくないのです。
普通ではダメなのです。
普通の人間がただ生きていても、責められない社会を創っていくには?
あくまで私見ですが、
みんながもっと自分に正直になることが重要であると考えます。
家族が起きる前から働いて、家族が完全に寝静まってから帰宅する・・・
そんなに働いてもその先に幸せはあるのでしょうか?
家族と一緒に出勤し、家族と食卓を囲み一緒に就寝する・・・
この方が仮に給料半分でも幸せだとは思いませんか?
現に私はこう変わりましたが間違いなく今のほうが幸せです。
出来る/出来ないは確かに大事です!
対象に迷惑をかける仕事なんてもってのほかですし、ここのクオリティを下げては本末転倒です!
しかし、それはそんなに身を削ってまでやらなければ出来ないことでしょうか?
過剰にやりすぎているのではないでしょうか?
競争に勝つのも大事ですが、それ以外にもっと大切なことがあるのではないでしょうか?
自分を犠牲にしてまでそんなに豊かにならなければいけないのでしょうか?
そうまでして「出来る人間」にならなければいけないのでしょうか?
皆様、もっと自分に正直になって自分と向き合って下さい。
もっとスローダウンして生きていきましょう。
普通の人間でもただ生きることが難しい社会なんて明らかにどうかしています!
この社会に、自分の生活に疑問を抱き、自分に素直になる。
ここから始めていきましょう!
以上、まとまりのない記事でした。
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